【教員の転職】先生が転職して後悔したこと3点

教員から民間企業への転職を経験しました。自分の経験から3点お話します。

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目に見える成果が期待される

教師だって成果が期待されないわけでは無いですが、教育とは「目に見えない」営みなので、「目に見える」客観的な成果が期待される経験はしていません。

「◯◯までに△△までの成果を…」というフレーズに、正直びびります。

一般の営利企業では当たり前なのですが、成果という点では甘い環境で生きてきた元教員にとって、恐ろしい言葉になってしまいます。

そして、目に見える成果を上げない限り、給与も自分の待遇も改善していかなので、そのプレッシャーと戦うことになります。

何となく「目の前の子供に決められた授業をして」「決められた事務作業をして」という仕事しかしてこなかった教員からすると「何と恐ろしい世界なのだろう」と思います。ほんとに。

給与や待遇の見通しが持てない

教育の営みが目に見える成果を出しづらいことの反映として「成果主義」は教育現場に馴染みません。

流行に乗って成果主義を導入した自治体では、管理職が無理やり配下の教員の成績をつけ、ボーナスに差を付けているところもありますが、どこまでいっても管理職の主観的な評価になります。

だから、教員の世界では「年功序列制」が一般的です。「より長く」「より歳を取っている」人が多くの給料をもらって、地位も高い。それが教員界の常識です。(本を書いているような一部の「スーパーティーチャー」は別ですが、彼らの処遇も結局は年功序列的だと思います。本とか講演の印税がちょこっと+αされてるだけで。)

そんな「頑張っても頑張らなくても同じ」なぬるま湯から出た身としては、民間企業の給与や待遇の格差には驚くばかりです。

それを「成果が出ればそれなりの見返りがあるから、頑張ろう!」と思えるのか、

「成果を出さなければおしまいだ…辛い」となるのか。

見通しが持てないことに暗い思いしか無いのであれば、教員を続けていた方が良いと思います。

常に自己アピールが求められる

この感覚も教員(特に公務員)とは真逆です。

公務員は徹底的に「組織の駒」であることが求められます。いつ何時であっても、辞令一つで勤務地や職種が変更される可能性があります。(さすがに事務職から教育職へといった異動はありませんが)

駒なので、個人を出す必要はありませんし、むしろ個人を出すことでの「不利益」の方が多いと思います。あまり(良くも悪くも)有名になってしまうと「公僕」という立場上、様々な利害関係が生じてしまうので、時に法を犯してしまう可能性もあります。

そういった危機管理も含めて、公務員(つまり大多数の教員)は、自らのアピールを極力控えるようになります。それは、仕事の性質上、仕方のないことだと思います。

一般企業に勤務する人は、真逆です。むしろ「自分をアピール」しないと、良い待遇は得られません。

自分の身なりに気を使ったり、自分の実績や経歴をアピールしたり、自分から様々な人間関係を構築しに行ったり…。

教員出身の身としては「大変だな」と思ったいましたが、今となっては逆に「教員(公務員)は窮屈だな」と思えるようになりました。

しかし、終わりのない自己アピールに疲れてしまう可能性もあります。ここで書いたことは極端な話ですが、公務員的な感覚を民間企業では変えていかないといけないことを、痛感しました。

まとめ

先生が転職して後悔したこと3点

  1. 目に見える成果が期待される。
  2. 給与や待遇の見通しが持てない。
  3. 常に自己アピールが求められる。

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ABOUTこの記事をかいた人

おーかど

元教職歴7年です。 教員時代は1年生から6年生の学級担任と特別支援教室の担任の経験をしました。子供達曰く「楽しくて恐ろしい?先生」だそうです。色々、叱り過ぎたかなぁ・・・。 妻と娘との3人暮らしです。 箱から出しまくったティッシュを静かに戻したり、散乱したおもちゃをけなげに片付けたり、腕を引っ張られてもだまって付いていったり、と、娘の育児に奮闘するイクメン・・・のつもりです。いや、ママには勝てません! 趣味は、サイクリングに読書に登山にスノーボードに、と目新しいものに片っ端から手を出しています。