教育系学部には主に2種類あり、
・学校の先生になる人たちを教育する「教員養成系」
・教育学を研究している「研究系」
です。この記事では「教員養成系」の教育学部を扱います。
学校の先生になるためには「教員免許」が必要です。
教員免許を取得するには、免許に関する一定の単位を大学で取得する必要があります。この単位に関する科目が主体として開設されているのが「教員養成系教育学部」です。
先生になりたくて入った学部が「研究系」であった場合、自分が望んでいる免許が取得できない可能性もあるので、要注意です。
この記事では管理人の経験を元に「教員養成系」学部の特徴をまとめました。
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良くも悪くも「おっとり」
学校の先生になろうと思う人は、
・子供が好き
・性善説で人を見ている
・自分も他人もより良く成長できると思っている
・誰かの役に立ちたい
そんな想いを持っている人が多いです。例外もありますが、一般的に。
ですから、善くも悪くも「おっとり」した人が多いです。ガツガツせず、日々の暮らしと友達とのやりとりを楽しんでいくような。
基本的に「いい人」の集まりなんですね。教員養成系は。
仲間意識が高い
法学部や経済学部など大半の学部では、卒業後の進路はまちまちです。
一般企業に就職する、公務員試験を受ける、資格取得を目指してもう一度勉強する、大学院へ進学する...。一般企業といっても、金融系、建設系、IT系、飲食系、不動産系、などなどなど、職種も規模も勤務地も、みんなバラバラです。まとまりはありません。
しかし、教員養成系の教育学部は、進路がまとまっています。「先生になる」ことを目的として進学してきた人たちなので、その進路も教員かその他教育職と決まってきます。また、地域も自分の地元か大学の所在地周辺になる傾向があり、まったく別の地域で就職というのは少数派です。
入学時点で進路があらかた決まっており、その手前には「免許取得」と「採用試験突破」という2つのハードルがあるので、学部の友達とは自然と仲間意識が芽生え、団結していく傾向があります。
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閉鎖的・カルト的な雰囲気になりがち
「仲間意識」と「団結」の裏返しになりますが、狭い社会で生活していくので、雰囲気が閉鎖的かつカルト的になりがちです。
大学では自分の好きな科目が選択できる、とはいっても教員免許を取るために決められた単位数は、結構な数になるので、授業の選択肢は狭まり、1〜3年は、ほぼ必修か選択必修で埋まっていきます。ということは、授業で顔を合わせる友達も固定化されていきます。
大学に入ったのに、毎日同じ友達と顔を合わせて同じ授業を受ける...高校生活の延長のような感じが出てきます。
それはそれで楽しいのですが、閉鎖的であることには変わりありません。
また「自分たちは先生になるために選ばれている」「教員免許を取るために、自分たちはがんばって勉強している」といった謎の優越感や孤高感が出てくると、
・教育の営みを賞賛し、世間一般を蔑む
・自分たちは「先生」になるのだから、一般的な学生より優秀で偉い
そんな、訳の分からない想いを抱き、数人で排他的なグループを作るカルトが出現したりします。
「高い仲間意識」は、時に「閉鎖的・カルト的な空間」を生み出すこともあります。
卒業後の人脈が狭い
管理人は教員養成系の大学出身なのですが、卒業して痛感したことがあります。
「卒業後の人脈が狭い」ことです。
何度も繰り返すとおり、教員養成系大学の出身者は、そのほとんどが「学校の先生」それも「公立学校の先生」になります。たまに異なる進路を辿る人もいますが、塾講師、私立学校の先生といった教育に関する職についている人がほとんどです。
そして、学校の先生という職は、はっきりいって安定しています。
「教員免許」保持者しかなれませんので、免許が参入障壁になり、誰でも思い立ったらすぐその職業になることができません。また、公立学校教員は公務員ですので、懲戒処分にならない限り解雇はありません。普通に働いていれば、給与も一定の段階で上昇していきます。福利厚生もしっかりしています。
だから、みんな辞めません。よっぽどのことが無い限り、一度「先生」になったら退職まで「先生」です。
社会人の入り口でみんなが「先生」を選び、途中でも「先生」にしがみつく...。
大学の知人に限った話では、そこから「人脈」は豊かになりません。みんないつでも同じような仕事をしているので。
まとめ
1 良くも悪くも「おっとり」している
2 仲間意識が高い
3 閉鎖的・カルト的雰囲気がある
4 卒業後の人脈が狭い
もちろん、大学によって雰囲気は様々なので、この記事の話は「一般的」な話として捉えてください。
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