「教師に向いていない人」の特徴をまとめます。
教員養成系学校の出身者は、よく「教師に求められる資質」を、
・学習&生活指導力(子供を教育する力)
・児童&生徒理解(子供を理解する力)
・保護者対応力(保護者と、気持ちのよいやり取りをする力)
・校務運営力(他の先生と、気持ちのよいやり取りをする力)
なんて熟語で表しますが、では、その力がある人は具体的にどんな人?その力が無い人は具体的にどんな人?と聞くと、中々答えてくれません。
というか、今書いたものは「実際に学校で仕事をしていれば、嫌でも身に付く」能力なので、これから先生に成りたいと思っている人が、無理して学ぶ必要もないし、だいたい実務をせずに学べる能力ではないです。
教育学部に通う大学生が「保護者対応力」なんて、身につけられるわけないですし。
...ということで、今回は「じゃあ、教師に向いていない人って、具体的にどんな人?」を、実務経験がある管理人がまとめてみました。あくまで、管理人主観ですので、ご了承を。
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目次
自己中心的すぎる人
たぶん、どんな仕事でも向いてないです。このタイプの人は。
教員、特に学校教育の現場は、思っている以上に「チームワーク」が要求される現場です。学校運営上の雑務や行事に関する仕事では、他の先生と協力して動かしていくことが前提ですから。
また、自分が受け持つクラスについても、一人で全て回せる時代でもなく、専門教科の担任やスクールカウンセラー、特別支援教育の専門員など、外部の教員に準じる立場の人々が関わってきます。
そんな「チーム戦」である教育現場で、
「いや、でも、俺が担任だから、俺の思った通りにやるし!他の人間は手出し無用!!」
そういう雰囲気は、だんだん通用しなくなっています。残念ですが。
でも、実際にはこういう人、多いです。
その気持ちや思いを「表に出さずに、上手くやる」のならばいいですが、思いっきり主張しまくる人が、さすがに現場で仕事をするのは難しいと思います。
また、自己主張が強すぎるということは、子供たちに対しても自分の思いを出し過ぎてしまう、ということです。
その結果として、
「私は◯◯を伝えたいのに、なぜ、子供たちは分かってくれないのか!」
自分の伝え方は棚に上げて、子供だけを悪者にすることにもなりかねません。
「自己中心的すぎる人」は、教員に向いていないです。
急な予定変更に弱い人
現場では、急な予定変更がよくあります。
その要因は、子供の欠席だったり、天候だったり、準備が間に合わなかったり...。
様々な要因で、
「やるよ」
と言っていたことが、
「やっぱり、やらないよ」
となります。
簡単に書くと誤解を招く怖れもありますが...「発達障害の疑い」があるお子さんは、この急な予定変更に弱いです。自分の中で一日の流れを組み立てて安心していたのに、それが急に崩れることでパニックになってしまう...。
実は、教員の中にも「急な予定変更に弱い人」が、結構います。
一概に「発達障害」というわけではなくて、
・一日のうちに何コマも授業を任されている。
・その一つ一つに、十分な準備をしている。
・学級担任は、さらに学級運営上の仕事の組み立ても行っている。
・「授業」「生徒指導」「学級運営」に加えて、学校運営上の仕事もある。
多種多彩な仕事を一日でこなすことが、教員には求められます。ですので、行き当りばたりではなく、一日の仕事の流れを、自分で決めてかかる必要があります。
せっかく決めた仕事の流れが、何かの拍子で崩されたら...そりゃ怒りますよね?
しかし、現実には「そんな事」が起きます。本当、よく起きます。
そもそも、教員が相手にしているお客さんは「子供」ですので、こちらの事情も段取りも予定も、何もかも考えて行動してくれません。
一つ一つ起きた時に、いちいち怒っていたら始まらないので、上手く受け流して、また予定を組み立てられるか...そんな力が必要なんじゃないかと思います。
「急な予定変更に弱い人」は、教員に向いていないです。
一つのやり方にこだわり過ぎる傾向がある人
この世界、こだわりのある人が多いです。というか、何かにこだわらないと、自分の仕事が前に進んでいかないところがあります。
・授業の導入にこだわる
・子供との話し方にこだわる
・保護者とのやり取りにこだわる
などなど、こだわろうと思えばこだわれるポイントが山ほどあります。そうして何かにこだわりながら、教員としての能力を総合的に上げていく...のが、理想的なキャリアかなと思います。
ですが...こだわりすぎても、マズいです。
よくいるんです。
・「私の学級では◯◯のやり方だけでいきます!(といって、人のアドバイスを聞かない)」
・「××先生!(管理人のこと)そのやり方じゃダメですよ!こうしなきゃ!(といって、自分のやり方を押し付けてくる)」
こういう先生。
教育って、正解がないです。
「体罰が×」「セクハラが×」みたいに、あきらかに法律で「間違い」となっていることを除いて、何が正解なのか分かりません。
だから、いろんな人のやり方を見たり、聞いたり、教えてもらったりしながら、自分の中の引き出しを増やしていくしかないです。より良い方法を目指すには。
それなのに、一つのやり方にこだわって周りが見えなくなる人は、教員としての幅が年々狭くなってしまします。
あと、子供は枠にとらわれないです。大人のナナメ上を行く、自由な発想で動いていきます。
そんな子供たちの気持ちを、捉えられなくなってしまいます。こだわり過ぎると。
「一つのやり方にこだわり過ぎる人」は、教員に向いていないです。
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「会話」でなくて「講義」が好き過ぎる人
授業...と聞くと「先生が高いところから一方的に話す」スタイルを思い浮かべる人は多いと思います。
確かに「授業」は、教員の言葉から始まります。
・この授業では、何をするのか
・目的は何か
・方法は何か
・最終的な成果は、何か
そういった全体のアウトラインを最初に説明するのが基本形です。(出来ていない人も、多いですが)
しかし、その「話す」が一方的に続いてしまうと、良い授業とはいえません。
昔とは違い、現代では知識は「ググれば」出てきます。わざわざ先生が子供に一方的に伝える必要はないです。むしろ、何かの専門知識については、子供の方が詳しいことが多いです。
「アクティブラーニング」がもてはやされているように、世界の流れは、「講義型」から「体験型」や「討論型」など、双方向のやり取りを意識した授業スタイルに変わっています。そちらの方が、学習効率が高いことも明らかにされてきました。
でも、多いんです。
「先生とは、話すことが仕事である」講義推進派が。
彼らは、新しい流れが理解出来ず、完全に取り残されてしまいます。
そして「講義推進派」は、子供とのやり取りも上手くいきません。子供が悩みを相談してきても、その思いを聴こうとはせず、一方的に指導してしまいます。
「〜した方がいいんじゃない?」
「◯◯は違うから、△△しなさい!」
と。
「会話」が必要な時に「講義」をしてしまう、むしろ様々な流れは「会話」になっているのに、いつでも「講義」してしまう人は、教員に向いていません。
自分で仕事を組み立てられない人
全ての仕事において当てはまることですけどね。
先ほどもまとめたように、教員の仕事には、
・一日のうちに何コマも授業を任されている。
・その一つ一つに、十分な準備をしている。
・学級担任は、さらに学級運営上の仕事の組み立ても行っている。
・「授業」「生徒指導」「学級運営」に加えて、学校運営上の仕事もある。
多種多彩な内容で構成されています。一日中パソコンに向かう、お客の相手をする、そんな単純な仕事ではありません。だから、多忙感が抜けないのだと思いますが...。
こういった押し寄せる仕事たちに上手く立ち向かうには、その段取りを自分で決めていかなければなりません。
逆に言うと「自分で仕事の段取りを立てられない人」は、絶対に教員に向きません。膨大な業務量の中をぶつからずに泳ぎきる「スケジューリング管理力」が必要です。
まとめ
1 自己中心的過ぎる人
2 急な予定変更に弱い人
3 一つのやり方にこだわり過ぎる人
4 「会話」ではなく「講義」が好き過ぎる人
5 自分で仕事を組み立てられない人
あくまで、管理人の主観です。書いてみて思ったのですが、ここであげていることは「組織で働くサラリーマン」には、基本的に共通するスキルですね。
教員、といえども「組織人」ですので、組織人として活躍できる力が、最低限必要だと思います。
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